労働を強いられることへの苦悩

ぼくは来年就活生だ。でも全くやる気にならない。強制されても絶対にやらないんじゃないかと思う。どうしてみんな,あんなに頑張れるんだろう。

 

人間は本来,自分の力で衣食住を手にできればそれで十分じゃないか。ぼくはそう思っている。だけどどうしてみんな大企業に行くのか,サービス業に就労するのか。

 

みんな稼いだお金で衣食住すべてを手にしようとする。だけど,農家や漁師のように自分の力で食を手にする,余った食でお金を手にして衣と住を手にする,のような半自給自足生活だってありだ。

 

最近のネットはどこにアクセスしても広告だ。アフィリエイトというやつ。あの仕組みを考えれば別に労働なんてしなくても注目さえ集めれば金は入ってくるじゃないか。

 

ぼくは非常に焦っている。就活対策に乗り遅れそうな状態で焦っているのではなく,自分に一人で生き抜いていく力や注目を集める力がないことに対してだ。

 

学校教育は人並みにやってきたし,常識も身についた。ただ,それによってサラリーマン仕様の凡人になった。理想はあるが,踏み出す勇気と能力がない。

 

 こういう状況から脱却したい。諦めたくない。もっと人生を楽しまないと。

表現への決意

 

表現することに強いあこがれを感じていた。絵を描いたり,詩を書いたり,評論してみたり…

 

大人になるにつれ,表現する自分が怖くなっていった。

 

ネットに晒せば叩かれるかもしれない。

下手くそだ,と馬鹿にするやつもいるだろう。

 

恐怖を感じて,創造意欲を押さえつけてきた。

 

でも,そんなことを続けているうちに,表現する力が失われていることに気がついた。

 

もはや,何かを作る,新しく始める,

そういうことを面倒に思うようになっている自分がいる。

 

いま,ぼくは地方国立大の文系学生だ。

ちゃんと勉強していれば,一般企業のサラリーマンみたいなそれなりに安定した職には就けるかもしれない。

 

それこそ表現力を失ったぼくのような人間が行き着く終着点だろう。

 

自分で生み出せないから,どこかに使われて,言われたことをこなす。

 

(偏見かもしれない。サラリーマンの皆さんには申し訳ない。偏見を改めてくれるような教えを説いてくれる方がいたらぜひお話させてほしい。)

 

そんなことを考えているうちに,

 

ぼくは操り人形にはなりたくない。

周りと同じように就職活動はしたくない。

自分の欲望の為にリスクをとりたい。

 

 

そんな願望が湧き出てきた。

 

 

表現して飯を食いたい。

 

 

これがぼくの夢だ。

 

絶対にこれを実現させたい。

 

表現することでぼくのフラストレーションは昇華される。

 

 

当たり前だが豊かな表現力が必要だ。まずは何かをどんどんアウトプットしていかないといけない。

 

毎日ネットに作品をアップしよう。色々なところに行こう。なんでも挑戦しよう。

  

ぼくは表現の翼を失ってしまったけど,いまならまだ間に合うかもしれない。周りを恐れている場合じゃない。表現のプロペラでもなんでも開発して空に飛ぶしかない。

 

 

 

ぼくは誰かを見下しているのか

傍から見れば近頃のぼくは他人を見下しているらしい。親とケンカになれば「お前は人を馬鹿にしている」とか一方的に言われたりする。

 

最近のぼくは誰かに説教されても真面目に聞くことがない。親に怒られてもへらへらしてうまくその場を乗り切ろうとする。それがうまくいかないときは反発する。うまく論破して絶対に干渉を受け入れない。この行為がそういう評価につながってしまったんだと思う。でも,人の話を聞かないからと言って,その人を馬鹿にしているわけではないんだ。

 

 世の中には「温故知新」という言葉がある通り,先人の教えを学ぶことはとても重要であるとされている。自分もそう思ってずっと先生や親,書物からいろんなことをスポンジの如く吸収してきた。

 

 でも,そこから得た知識や考え方が本当にぼくを幸せにしているのだろうか。その教えは絶対的なものなのか,彼らの私利私欲が絡んでいないか,そもそも自分は本当に間違っているのだろうか。スポンジを膨らませた水分が有毒なのではないかと思い始めた。

 

 

ぼくは自由でありたい。何事も偏見なき視点で見たい。百歩譲っても自分が生んだ偏見を通して見たい。自分の判断に他人の思想を混入させたくない。

 

「純粋」という言葉は難しい。特に人間のこころに関しては何を持ってして「純粋」であると定義できるのかはわからない。でもぼくはぼくなりに「純粋」なこころを持っていたい。そこに誰かの偏見や欲を入れてしまえば,「純粋」さはなくなってしまうんじゃないかという恐れをいつも持っている。

 

 結局,ぼくは他人からは「人を見下すプライドの高いやつ」というレッテルは貼り続けられると思う。だけど,実際そんな考えは持っていない。それぞれの考えを尊重するべきだという理想の上で,誰かの干渉に反発しているだけなんだ。間違った考えなんてものは一つもない。社会が作り出した同調圧力とそれに飲み込まれた人間の一部になりたくないだけなんだ。

懐古厨かつ洋楽厨の僕,何故かtwiceにハマり「Summer nights」購入する

 

僕は洋楽を聞くためにSpotifyの有料会員になったはずだった。

 

最初はアヴィーチーやゼッド,オフスプリングやグリーンデイ,あとはひと昔前の邦楽なんかをずっと聴いていた。

 

でもSpotifyを使っていくうちに,K-popがけっこう豊富に揃っていることに気づいた。

 

最新のアルバムなんかもすぐ配信されているようだし,おすすめでもtwiceやBTSが出てくるし,元々K-popなんぞ全く興味もなかったのに次第に聴いてみようかな…なんて気持ちになってきた。人間は不思議なものだ。

 

 

 

 

 

 

twiceやべえええ

 

 

 

 

 

 

 

この一言に尽きた。

 

ひたすらヘビーローテーションした。

 

韓国語わからないから歌自体は意味不明で,まるでどうぶつの森の住民なんだけど,単純に曲がいい。K-popは初体験だから,どの楽曲にも意外性があって面白い。

 

「Candy pop」とか「Wake me up」は日本語で歌ってくれてるからかなり親しみが持てた。「Wake me up」はインストも素晴らしかった。B面の「Pink Lemonade」も良かった,ツウィちゃんの日本語慣れしてない感じの発音が好き。

 

とはいえ,懐古厨かつ洋楽厨の自分がなぜいきなりtwiceを聞くようになったのか,全く見当もつかないのだが,ハマってしまったのだから仕方ない。

 

 

そんな中,Spotifyだけでは満足できない自分がいた。にわかが付く程度には「音質厨」であるため,wav音源がほしかった。

 

最寄りのタワーレコードに向かい「Summer nights」のA ver.を購入した。(買ったあとでCのが良かっただろうかと後悔したりしなかったり)

 

開封してコスパの高さに驚く。まあ,レジでB2サイズのポスターもらった時点で度肝を抜かれたわけだが。(普段ジャニーズのCD買ってもこのサイズはもらえない気が) CDに若干キズが付いていて微妙に萎えたんだけどまあいいか。ちなみにサナちゃん仕様だった。それにしても税抜2000円でこの特典の多さよ…どんだけカード入ってるんだよ…てかこれほぼ写真集じゃん…ツウィちゃんかわいい…

 

twiceはK-popの中でも日本人が親しみやすいグループだろうと思う。まず日本人が三人いる時点でそれは明らかだし,楽曲が比較的日本人でも親しみやすい。あと,ダンスがめちゃムズいK-pop業界の中ではわりと真似できそうな難易度。カラオケ文化からわかるように「なりきれる」ってのは日本人に売る上では結構重要なんじゃないかな。あととりあえずツウィちゃんがかわいい。

 

 

 

 

 

 

 

追記

 

V LIVEとかいう沼,ずっと見てられるんだが…

 

 

宇多田ヒカル,小室哲哉,6月26日の興奮

ふと気がついた。

迫りくる平成30年 6月 26日,己の心に溢れかえるであろう歓喜に。

 

 

さて,今月の26日は何曜日か?

火曜日だ。

火曜日といえば誰もが連想するだろう。

CDのフラゲ日である。

 

 

それも普段のフラゲ日とはわけが違う。

なんと,小室哲哉のベストアルバムと宇多田ヒカルの『初恋』が同日リリースなのだ。

 

 

大好きなアーティストの作品を同時に3つも購入できる幸せ。

そう味わえるものではない。

 

 

小室氏のベストアルバムは『T』と『K』をあわせてなんと8枚組だ。(それぞれ4枚)

「作曲 小室哲哉」という名誉ある肩書を持った神曲たちが,

レーベルの枠を超え一同に集う。なんと豪華な仕様だろうか。

 

 

対する宇多田氏は,移籍後初のアルバム。

デビュー20周年にしてタイトルが『初恋』。

英訳すると『First Love』になる,何とも興味深い。

いったいどんな楽曲が収録されているのか。非常に楽しみだ。

 

 

 

さらに,気になるのはオリコンランキング。

アルバム出せば100万枚,邦楽界の希望 宇多田ヒカル

”ベスト”を引っさげたヒットメーカーと一騎打ち。

ワクワクせざるを得ない好カードである。

皆でCDを買って,この戦いを盛り上げようじゃないか。