ぼくは誰かを見下しているのか

傍から見れば近頃のぼくは他人を見下しているらしい。親とケンカになれば「お前は人を馬鹿にしている」とか一方的に言われたりする。

 

最近のぼくは誰かに説教されても真面目に聞くことがない。親に怒られてもへらへらしてうまくその場を乗り切ろうとする。それがうまくいかないときは反発する。うまく論破して絶対に干渉を受け入れない。この行為がそういう評価につながってしまったんだと思う。でも,人の話を聞かないからと言って,その人を馬鹿にしているわけではないんだ。

 

 世の中には「温故知新」という言葉がある通り,先人の教えを学ぶことはとても重要であるとされている。自分もそう思ってずっと先生や親,書物からいろんなことをスポンジの如く吸収してきた。

 

 でも,そこから得た知識や考え方が本当にぼくを幸せにしているのだろうか。その教えは絶対的なものなのか,彼らの私利私欲が絡んでいないか,そもそも自分は本当に間違っているのだろうか。スポンジを膨らませた水分が有毒なのではないかと思い始めた。

 

 

ぼくは自由でありたい。何事も偏見なき視点で見たい。百歩譲っても自分が生んだ偏見を通して見たい。自分の判断に他人の思想を混入させたくない。

 

「純粋」という言葉は難しい。特に人間のこころに関しては何を持ってして「純粋」であると定義できるのかはわからない。でもぼくはぼくなりに「純粋」なこころを持っていたい。そこに誰かの偏見や欲を入れてしまえば,「純粋」さはなくなってしまうんじゃないかという恐れをいつも持っている。

 

 結局,ぼくは他人からは「人を見下すプライドの高いやつ」というレッテルは貼り続けられると思う。だけど,実際そんな考えは持っていない。それぞれの考えを尊重するべきだという理想の上で,誰かの干渉に反発しているだけなんだ。間違った考えなんてものは一つもない。社会が作り出した同調圧力とそれに飲み込まれた人間の一部になりたくないだけなんだ。